| Panthera Fan Page スウェーデンから来た、世界で一番軽い車いす パンテーラファンのページ |
■パンテーラの設計者ヤッレさんの講演ですHCR(第28回国際福祉機器展)を訪れた、パンテーラの設計者、ヤンさんに話を聞きました。「無限工房」主催の交流会で通訳の原昭治さんがスウェーデン語から通訳したものを筆者がメモ・補足しました。 「車いすに乗っている障害者は、自信を持ちなさい。 自分でできますよということを社会に示すのだ。」 ●レーサーの生活から車いすの生活へ 自分はヤマハのオートバイのレーサーであった。事故で脊髄損傷(脊髄を痛め、体の胸より下がマヒとなる)となって、入院している時に、車いすに乗って、自由に動いている人を見た。自分もそのように動ける人になりたいと思った。その後、退院すると、新しいマンションを準備してもらい、何か勉強しようと思った。車いすバスケットの練習も始めた。 自立して生活をすると、何かをするのに時間がかかる。たとえば食料品と肉を買うのに2時間かかる。行動するためには、ひどい車いすだったのだ。バスケットをしていても(車いすをうまく動かせなくて)ひどいものだった。 ●当時の車いすへの疑問レーサーの時にバイクの改良をしてきたように、車いすをもっとよくできるのではないかと考えた。それで、まず、自分の車いすの必要ない部品を、みんなはずして捨ててみた。ブレーキとか色々である。 私は、なぜ、この車いすはこのようになっってしまったのかも考えてみた。自動車の原則が、この当時あった。1800年代に人々が考えついていた車いすのことを、振り返って考えて見ると本当に不思議だ。なぜ、当たり前のことがなぜ応用されていないのか? この頃に車いすを作った人たちは、車いすが移動の道具と考えていなかったのだ。車いすは、回る車であって移動することを考えないといけないのに、座ることだけが目的になっていたのだ。けれども、座るものだとしても、結局快適ではなかった。 ●車いすの設計へ それで、自分で車いすを改良してみようとした。まず、車いすバスケットのために自分の車いすを改造した。やってみると、いっそのこと自分で作った方がよいことがわかった。1982年に、「スピンネル」という車いすを作った。自分はその時、これ以上のものはないと思った。けれどもまた新たなアイディアがわいてきた。 1989年、パンテーラのプロトタイプを自分で溶接して作った。1990年、世界で一番軽い車いすを開発した。総重量は7.5kgになった。(当時、日本の同種の車いすは10kg前後、アメリカ製も重かった) ●なぜ昔はいい車いすができず、今よくなったのか この当時、アメリカとヨーロッパがどんどん車いすをよくしていった。 車いすに乗っている人が車いすを作ったことが、よくなった理由だ。 それまでは、自分自身は車いすに乗ることがない、若者ではない人が車いすを作っていたのだ。 車いすを作った人は、自分ではけっしてそれに乗ろうと思わなかったし、悪い条件での経験もなかった。 これは、海に出たことのない人にヨットを作ってもらうようなものだ。 車いすがよくなった理由は2つある。 1つめは、車いすに乗っている自分自身が作ったこと 2つめは、社会によい車いすを作ろうという創意がなかったのが、あるようになったこと。 今から考えると腹が立つが、そうだった。 ●本当によい車いすとは何か 本当にいい車いすを作るにはどうしたらよいかを考えると 人間はひとりひとり体が違い、自分によくても他の人はよいかわからない。 一人一人の生活環境とか好みとかを調べる必要がある あるものを作るとき、色々と考えるが、妥協の連続だ。 それだけがいいというものはない。 たとえば、パンテーラがたったの5キロしかないような 最高にいいものも作れるが、それは誰にでも使えるものではない。 一方、誰にでも分けへだてなく、いいものがあるかもしれないが、 それはテレビの前に座っているだけのものになる。 車いすを作るための作業は、実は妥協の連続で、これ以上妥協できないというものが結果となるのだ。 また、ユーザーが車いすに求めるものは国によって違う。 日本ではできるだけ幅が狭い方がよいと聞くが、今まで、そのことは考えなかった。 パンテーラを使いこなすためには、自分が訓練して欲しい。 パンテーラを自分に合わして、使いこなせるよう練習することだ。 車いすに乗っている障害者は自信を持ちなさい。 自分でできますよということを社会に示すのだ。 他人がすばらしいと思うような、自分を見よう! |
| TopPegeへ |